ナンジャタウンは『不思議』じゃなくなった。

これはただの愚痴だ。誰かに聞いて欲しい方の愚痴。
担降りの三下り半というか、クダ巻きだ。

纏まりなくて申し訳ないが大目に見て欲しい。すみません。
 


ナンジャタウンが何か、という説明は割愛する。
アニメタイアップしかピンと来ない人はよくわかんない話だと思う。
テーマパークとしてのナンジャタウンの話をします。
 
自分の中のナンジャの一番古い記憶は、年齢と施設とを考慮すると割とオープン直後だったんじゃないかと思う。
当時小学校低学年かそこらの、夏休みとかの長期休暇の時だけ来るようなごく普通のファミリー客だったので正直記憶はふんわりしてる。
それから頻繁と言えるレベルではないものの、小学校中高学年、中高生、大学生になっても定期的に遊びに行っていた。まぁライトユーザー寄りだ。
 
ナンジャタウンのアトラクションは、自分の変身願望、異世界願望を満たしてくれるものだった。冒険したり、街を救ったり(下手くそだったけど)、スパイになったり。

そしてその舞台は不思議な世界だった。
当時自分が子供であることを差し引いても、開園当時の最新技術が使われてたんじゃないかと思う。あるいは応用が良かったのか。
目の前にあるのに触ることの出来ないパン、パスタ屋の中に浮かぶブルーノ。
出迎えて話し出す綾小路先生や冒険局のナジャヴ
トレビヴァンジェーロは水の上に浮かんでると思ったら大人になってから知ったけど水じゃなかった。演出に完全に騙されてた。
X国倉庫の「ヤバいところに来ちまった」感。ミイラのほこらの岩扉が開いた感動。いろは饅頭のガチ隠れ家っぷり。
ちなみにビビリだったから初期のもののけ番外地はほぼ記憶にない。探険隊が限界だった。一角おろちが長かったのは覚えてる。

どれもこれも、非現実が現実にあって、自分と同じ場所に『不思議』が立っていた。

 

ナンジャタウンは数年前に大幅リニューアルした。
(それ以前にも番外地が出来たり、フードが出来たり、色んな変化を経て来てるみたいだけど)
近年、ざっくり近年感じていた違和感がようやく言葉になった。

 

今のナンジャタウンは、『不思議』じゃない。

 

世の中は進化した。そりゃもうめっちゃ進化した。
百年前なら「絵が動くとは面妖な」って言われたかもしれないけど今やモニターの映像が動くのは不思議でもなんでもない。各種タッチパネルやセンサーといった類も一般化したから、映像に対しユーザーがアクションを起こせることに驚く人もそうそういないんじゃないだろうか。
プロジェクターによる映像投影も一般的だ。

 

テレビの中で喋るだけの近未来所長やウサビを、誰が実在してる女性だと、技術を集めて作られたロボットだと認識出来るだろうか。
マージカール学長が自分たちと同じ部屋にいると、あの演出で感じられるだろうか。
手元でカメラ画面と重ねて映像で表示されるだけのUMMを「現実に悪影響を及ぼすモンスター」と危険視出来るだろうか。ぬまたまの方はまだ分かる。

 

何も人形を使えという話では決してない。ないけど、逆に言えば『不思議』が我々と同じ空間に顕現してると思わせるには物理的に置くのが一番手っ取り早い。
映像でそれをやろうと思ったら綿密なプロジェクションマッピングとか必要になるのだと思う。けど、そこまではしない。その中途半端さが『不思議』でもなんでもない「ただの映像」になる。
だから今『不思議』を作るには、技術を上手く使うセンス・応用力か、まだ一般化してない最新技術が必要なのだと思う。

 

それともう1つのセンス、もっと単純な空間デザインも寂しくなってしまった。
冒険局のナジャヴの部屋を埋め尽くすごちゃごちゃしたものは、そこに説得力と物語があった。何があったかあまり覚えてないのが口惜しいけど、ナジャヴが冒険して集めたものや冒険のための資料なのだなという「異世界」の裏付けをしていた。
リニューアルに伴いなくなってしまったマカロニ広場やナンダーバードも、街の何気ない装飾に「住人」の気配があった。洗濯物が欲してあったり、店先に商品が置かれたり。
新街区であるドッキンガム広場は、そういった意味でもすかすかしている。寂しい。

 

 

ちょっと話題が逸れるが、自分はアニメタイアップが「テーマパークとしてのナンジャタウン」にとって悪だとは必ずしも思ってない。
サンマガ何周年だかの、コナン金田一の謎解きは胸熱だった。

 

紙の謎解きが終わると、敵のアジトの前で待つように書かれている。
待っていると若く精悍な刑事が急いだ様子で現れて「君達が探偵か」と話し掛けてくる。
アジトに潜入し、室内を調べて破られ捨てられた紙や隠し金庫の謎を解いていると、敵が現れ襲ってくる。青年刑事に守られ辛くも次の部屋へ逃げ、機械を操作して敵の目論見を破壊し………

 

っていうのを体験するんですよ。自分が!
自分たちが当たった役者さんがまた芸が細かくて、最初に話し掛けてくる前、通路の向こうにそれらしき人が見えたかなーってあたりから芝居が始まっていて。刑事が若くてイケメンで、敵がおじさん風なとこまで妙にリアルというか「創作あるある」。
ファンタジーではなく刑事ドラマ方面とはいえ、これもまた一種の異世界願望を満たすアトラクションだった。

 

空間デザインセンス、という意味では黒執事コラボ、鋼コラボ、P4コラボも良かった。既存の施設装飾を上手く転用してシエルの執務室風の部屋に通されたり、国家錬金術師として大佐の部屋に通されたり、ベルベットルームに通されたりした。
漫画の世界に入る、という異世界願望だ。
こういうことが出来るのはテーマパークならではのコラボ方法だなと思う。

 

 

話を戻す。
要は今のナンジャタウンは自分にとって、異世界願望を満たしてくれるだけの説得力がなくなってしまった。
それは技術の一般化だったり、空間デザインの情報量だったり。
手抜きと一言で片付けて良いものなのかはわからないが、ただただ哀しい。


ついでにもう1つ、異世界願望を満たす、『不思議』に説得力を持たせていたナンジャタウンの好きなとこがある。
先述ちょっと触れた役者さん、ナンジャリアンさんだ。
刑事さんが登場から刑事を演じ切ってくれたように、異世界の住人が自分に話し掛けてくるというのは、人形より映像より何より、自分と同じ場所に『不思議』が立っていることになる。そして彼等が自分を異世界の住人の一員と扱ってくれるから、自分の変身願望は満たされる。

 

これがなくなったら、本当にナンジャタウンが『不思議』な異世界じゃなくなるんだろうなと思う。
(とはいえ、リニューアル後の衣装は随分シンプルになってこれまたデザインの情報量の足りなさを感じる…)